言葉選びを褒めてもらった話

2023年6月11日。

生憎の雨模様となったイオンモール常滑で、私はAMEFURASSHIの市川優月ちゃん(以下「ゆづちゃん」と呼びます)に宝物みたいな言葉をもらいました。

その思い出と、もらった言葉を受けて改めて考えたことを書き留めておきたくて、上手くまとまらないながらもブログにしてみました。

ゆづちゃん、あなたがくれた言葉が、これまでの私もこれからの私も肯定してくれたこと、きっと忘れません。ありがとうね。

 

その日は特典会でどうしても「超特急のライブを見学した感想」を聞きたくて、めずらしくはなちゃんの列にもゆづちゃんの列にも並びました。

超特急とAMEFURASSHIをかけ持ちしているオタクとして、“私が”“直接”感想を聞いておきたい……というエゴでしかありませんでした(特典会を4人分回す余裕がありそうだな……という理由もありましたが)。

そして、ゆづちゃんに「超特急のB9行ってくれたのが嬉しくて……私、8号車なんだけど……」と話を切り出して返ってきたのは、「あれ?れーこちゃん???」という質問でした。

さらに、「えっ???そうです〜……」と戸惑いながら答えた私にゆづちゃんがくれたのが、

「いつもレポ見てる〜」

「何なら1番見てるかも?」

「言葉選びが柔らかくて好き」

という宝物みたいな言葉でした。

※レポには「言葉選びが柔らかくて」と書いていますが、実はあまりにも嬉しくて、ゆづちゃんがどんなニュアンスで言ってくれたかは曖昧にしか記憶していません。おそらく「言葉選びが優しくて」「言葉選びがやわくて」「言葉選びが柔らかくて」という言い方をしてくれていたと思います。

動揺しながらも、しっかり「え……???Twitter???」と確認し、ゆづちゃんがテンション高めに「そうそう!」と笑ってくれたので、ゆづちゃんにもTwitterを知られていることが分かりました。

その時のやり取りと、ちゃっかりB9の感想を聞いているレポはこちらから↓↓↓

https://twitter.com/kis_west_red/status/1667788053090533376?s=46&t=ieTOcKxNeqDEyTFdBO2lVA

特典券1枚で、20秒のお話し会でこんな宝物みたいな言葉をもらうなんて思ってもみなくて、愛来ちゃんの列に並びながらフォロワーに「ヤバい」「クールダウンしたい」と口走ったことを覚えています(でもツイートはしっかりした)。

それくらい動揺して、それくらい嬉しかったという事実は変わらないですが、それは「レポを見てもらえている」「Twitterを知ってもらえている」からではなく、「言葉選びを褒めてもらった」からです。

 

ここからは、「Twitterでレポを書く」ことについての私のスタンスみたいなものを少し書いておけたらと思います。

私はTwitterにレポを残しておきたい(まぁ実際は「レポみたいな感想みたいなものを垂れ流す」に近いですが)オタクです。それはライブでも特典会でも同じです。フォロワーはよく知ってくれていると思いますが、覚えていることはとにかくツイートしておきたいオタクです。現場があるたびにTLを荒らしてすみません。

では、なぜ残しておきたいかというと、それは「私が見たこと・聞いたこと・感じたことを自分の言葉で残しておきたい」からです。

そして、それがいつか自分を救うと知っているからです。実際に「この話をしてたのどのライブだっけ」「○年前ってどんな現場に行ってたっけ」「推しとの特典会を振り返りたいな」という時、自分のツイートを遡れば済むだけなのはとても助かります。

とても助かりますし、自分の言葉で残っているので、「この話をしてたライブ」「○年前の現場」「推しとの特典会」をすぐに鮮やかに思い出すことができます。「記憶の引き出しを開ける鍵」がいつも手のひらにあるような感覚です。

つまり、私のレポは「私の私による私のための備忘録」です。いつか自分を救うための、「忘れたくないこと」「思い出したいこと」の寄せ集めです。なので、基本的には「誰かのために」とか「誰かに見てほしい」みたいな気持ちは強くありません(全くないと言い切ってしまうと嘘になりますが)。

ただ、「私の私による私のための備忘録」を見た誰かが、「私もそこ好きだった!」とか「そんなことがあったんだ!」っていいねしてくれるのはとても嬉しいと思います。私の言葉で、その日ステージに立ったりオタクと接したりした「推し」や「推しグループの子」の素敵なところが1人でも多くの誰かに伝わるのは、本当に嬉しいことです。

だからこそ私は「私の私による私のための備忘録」だけれども、なるべく誤解を生まないように、誤字脱字がなく、自然な日本語で、限られた文字数の中でも伝わりやすいような言葉選びを心がけているつもりです。

これは昨年の梅雨祭後に妹ぴと飲みながら語ったことを整理した時のTwitterの下書きなんですが、

「イラストが描けるオタクではないから、「笑った」ではなく「優しく微笑んだ」「泣きそうな顔で笑った」「不敵な笑みを浮かべた」を区別して書かないといけない」

んですよね。文字情報ってそういうことだと思います。

そんな下書きも踏まえると、ゆづちゃんの「言葉選びが柔らかくて好き」は、これまでの私もこれからの私も肯定してくれるような言葉だったなと思います。「私の私による私のための備忘録」だけれども、それなりのこだわりは持っているので。

そして同時に、今まで「いつもレポ見てる」と言ってくれたり、記憶力とか言葉選びを褒めてくれたフォロワーが思い浮かんだりもして、「私の私による私のための備忘録」でも、見ている誰かがいてくれることは本当にありがたいなと思いました。いつもありがとうね、フォロワー。

 

これからも私は「私の私による私のための備忘録」をTwitterに垂れ流すオタクにすぎません。それでも、ゆづちゃんにもらった宝物みたいな言葉を抱きしめながら、自分らしく、自分がそうしたいと思うことを続けていられそうです。

「絵が描けるオタクのことは心の底から羨ましいけれど、だからと言って私自身が絵を描けるようになりたいかと聞かれたらそれは微妙な問題で、その部分を頑張るくらいならもっと記憶力と語彙力をバチバチに強化したいと思う」

Twitterの下書きに残していた私も、きっと笑えていると思います。

ゆづちゃん、本当にありがとうね。

 

P.S.

みんなにではなく誰かに届いてくれたらと思いながらも、私はまだ「ゆづちゃんの憂いを帯びた表情の良さ」を表せる語彙を獲得できずにいるのだった

という下書きをTwitterに残した1年前の私へ。

未だそのような語彙を獲得できていません。精進します。