あなたと私にお手紙書きましょう

あの日お手紙に書こうとしたけど手が上手く動かなくて、深夜だからってTwitterに好き勝手吐き出すわけにもいかないし、それでもやっぱりこんな気持ちを持て余してたらきっと心がダメになっちゃうから。

だからここにだけは置いていかせてね。今のあなたといつかの私へ。笑いながらでも泣きながらでも、このぐちゃぐちゃした気持ちを思い出せるように。

 

 

 

林さんへ

言いたいことも聞きたいこともたくさんたくさんあるけど、ほんとは「どこにも行かないでね」って一言だけをずっと飲み込んでるんだよ。だって怖いんだもん。このままじゃいつかいなくなってしまうでしょ。周りのいろんなことに興味が薄いのもいつかいなくなるための準備なのかなって思ってしまうよ。たとえば大学を卒業したら?この仕事に全てを委ねられる?私にはそんな未来見えないけどな。あまり多くは語らずにいつも通り笑って自分だけ晴れやかな顔でお別れを言い渡す未来なら見えるけど。林さんだけだよ、「東京ドームに立ちたい」って言葉が出てこなかったの。あなたが思い描けない未来を私が夢見ることはできないんだよ。ねぇ。どうなりたくてそこにいるの?どんな想いでステージに立ってるの?悲しいくらい何も伝わってこないのは私のせいなのかな。「今」だけじゃなくて「未来」まで欲しがるのはワガママなのかなぁ。

でも「努力できる身体になりたい」って言葉はどうしても飲み込めないんだよ。だって見せないだけで言わないだけで頑張ってるじゃん。省エネ〜って誤魔化しながら頑張ってるじゃん。努力できる身体じゃない人がきちんと大学生やりながらダンスが上手くなれると思う?ライブに出るためにギリギリまで大学と話し合ってくれると思う?ねぇもっと向き合ってほしい。夢を語っても誰も笑わないから、努力の痕も涙も弱音もさらけ出して大丈夫だから。なんで?何に怯えてるの?怖くなんかないよ、だってもう今さら嫌いになんてなれないんだし。器用に綺麗に生きようとしなくていいのに。いつかいなくならないのならば。

「好きだから」なんて前置きすれば何言っても許されるなんて思ってない。「好きだから」って何でも語ろうとするのはオタクのエゴでしかない。それでもどうしようもなく「好きだから」、せめて同じ夢を見させてください。お願いします。

私より

 

 

 

ここ数日ずっと苦しかった。林さんの何かになりたいわけじゃないのに林さんの何でもないことが苦しかった。「林さんは」「林さんは」って誰かの評価に必死で噛みつきながら、そもそも自分が何を信じていたのか分からなくなったりした。

でもね、今ここでやめたら楽になれるのにって泣いたりもしたけど、私絶対最期まで見届けてやるから。恋が終わって愛になるならこんな形だけは嫌だったけど、もうしょうがないよね。死なば諸共、地獄の果てまで。どんな終わりも受け入れてあげる。

 

 

 

 

 

だけどほんとは、いつかいなくなるって感じながら好きでしかいられないのも、いなくなるその日まで何も気づけないまま好きでいられるのも、どっちも嫌だよ。同じ未来を見つめてみたいよ。ねぇ。いなくならないで。そこに立ち続けていて。

境界線が分からない話

何だか考えれば考えるほどよく分からなくなってきました。

 

 

小学生の頃母に「そんな言い方してたら友達失くすよ」と言われたことがあります。

中高生の時は部活の代表を務めていたのですが、たまに余計なリーダーシップを発揮して自分の幼さを恥じることがありました。

大学生になってからは周囲の人がさりげなくしている気遣いが自分には身についていないことを痛感しました。

 

「気遣いができず考え方も幼い人間である」、これが私の自覚している私です。

だからこそ自分が一歩引いて相手の意見を尊重する、そうすることで未熟さをカバーしようとしてきました。

言いたいことがあってもなるべく言わない、万が一言うのであれば丁寧に言葉を選ぶ、そうして得た私の評価が「優しい」です。

 

でも今度は「主体性がない」と怒られるようになりました。

意見すれば嫌われると思っているのに、言いたいことを飲み込んでも嫌われてしまう。

結局は気遣いも考え方も身についていない未熟な私がいただけで、言いたいことを言うべき時とそうでない時の境界線はまだ見つけられていません。

 

 

今でも言いたいことを言うのは怖いです。

そのくせ考えなしに口走ってしまうこともあります。

もしかしたらこれが「言いたいことがあってもなるべく言わない」という逃げ方をした代償なのでしょうか。

そして「言いたいことを上手に言えない」という本質は何も変わっていないのかもしれません。

 

だからきっと私の「優しい」は上辺だけの偽物なんでしょうね。

3年と1年

6月21日で5推しになって丸3年になりました。

6月23日で林さんに一目惚れして丸1年になりました。

 

芯があって冷静に熱くて真っ直ぐに未来を見据えることのできるユーキちゃんは、尊敬してやまない大好きな推しです。たくさんの人を引きつけるダンスを、愛らしい笑顔を、4年目も見つめ続けていきたいです。これからも同じ夢を一緒に見ようね。

 

しなやかで周りをよく見ていて大学とお仕事の両立もこなしている林さんは、トキメキをくれる大好きな推しです。これからもっと上手くなっていくダンスを、お茶目な一面を、2年目も楽しみにしています。想像すらできなかったのにいつの間にかキミでいっぱいです。

 

大好きな2人の推しへ。

あなたの幸せが私の幸せです。4年目と2年目もよろしくね。

この世界の片隅から貴方を想う

こんなタイトルつけてどうしたの?って感じですね。

私もこんなタイトルつけてどうしたの?って思ってます。

でも分かりやすくないですか?拗らせてるんだな、って笑

 

ご存知のように、接触があるとだいたい拗らせます。だいたい林さんのことです。

それでもあのたった一瞬のトキメキを味わうために生きてます。その後泣くほど病むのに。

やめられないんですよね。たぶんクスリと同じだから。こんな快感、一度知ったらもう戻れないです。びっくりするくらいズブズブ。

 

 

だけどいつも思うんですよ。貴方がアイドルで、私がファンで。そういう関係性で出会えてよかったな……って。

だって例えばお互いに普通の大学生だったらきっと出会ってない。もし出会っていたとしても貴方は私とにこにこ話してくれる?好きって気持ちを受け止めてくれる?

そう考えたら、やっぱり今の関係性が至高なんですよ。好きなだけ好きでいていい。「好きです」と言えば「ありがとう」と笑顔が返ってくる。そんな幸せが約束された世界にいるってことに気づかずにはいられない。最終的に辿り着くのはそこなんですね。

 

だから私は出来るだけ貴方とおしゃべりしたいし握手したいしセルフィーを撮りたい。もちろん踊る貴方を見たいというのが一番にあるんだけど。そこも譲れないんだけど。

そうやって好きなだけ好きでいた先に何があるのかは分からない。それでも、いつかこの「好き」の形も変わっていくと思うから。

だから、その時まで恋に近い「好き」でいさせてね。

推しのいないライブに行く意味を探しに

何だかもったいぶったタイトルをつけちゃいました。

明日初めて推しのいないライブに行きます。

推しは大学で大事なテストがあるのでお休みです。テスト、頑張ってね。

 

そう頭では分かっていても、やっぱり寂しくて。

なんでいないんだろう、なんで会えないんだろう……って何回も何回も考えてしまいました。

だけどギリギリまで大学と話し合ってくれた推しを、お仕事と大学を両立してる推しを、私は誰よりも誇りに思います。

 

だから。

明日私は誰を見て、何を感じるのか。少しどころじゃなく楽しみです。

きっと推しのいないライブに行く意味は、推しのいるライブに行く意味と繋がってるから。

19歳の君へ

EBiDAN OSAKAに小原滉平くんという男の子がいます。4月20日で19歳になりました。今日はそんな彼のお話をします。

 

 

4月28日。Music Club JANUSのステージで、彼はBATTLE BOYSについて言及しました。「戦いだけど、支え合える仲間」──そこには選ばれたくてなかなか選ばれないもどかしさと、共に歩んできたメンバーへの想いがたくさん詰まっていました。

 

滉平くんは1stから大阪選抜には入っているものの、目標に掲げてきた全国選抜入りは3rdまで叶いませんでした。それでも発表があった日のブログではファンに感謝を述べ、「ごめんねなんて言わんといて」と強く前を向き、そして「大好きやで」と言葉にしてくれる彼の温かさに、気づけば私が支えられていました。とても優しくて優しい人なんです。

 

その子がステージの上で19歳としての目標を語りました。「20歳になるまでに芸能生活の中でやりたいことを全部したい」、それはまっすぐすぎるくらいの夢だと思いました。そして「正直焦りもある」と教えてくれました。強さと優しさを秘めた男の子の、痛々しいくらいの本音でした。

 

その時、ふとEBiDAN OSAKAの「君のために」という曲が頭に浮かびました。

「全員分の座席なら最初から無い、できれば誰の涙も見たくない、それでも僕らは戦うしかない」

胸が苦しくなるくらい歌詞が滉平くんに重なってしまって、彼はどんな気持ちでこの曲を歌っていたんだろうと思うと、どうしようもなく泣きだしそうになりました。でも曲は

「今度は嬉し泣きするんや、誰より僕を待ってくれてる君と一緒に」

と続いていく。きっと滉平くんもどんなに悔しさ襲う時でも、必ず戻ってくるからと、誰より信じている私たちのために歌ってくれているのかなと思っています。

 

 

滉平くんの目標は彼の努力だけで届くものではありません。でも、彼には「圧されてまうほど高い壁だっていつでも笑かしあって越えてきた」仲間がいます。いつの日かスカシたヤツの鼻明かしてトップの座を獲りにいきましょう。浪速仕込みの根性、見せたりましょう。

願いや憧れはどんどん言葉にして行けばいい、小原滉平という物語の主人公は彼だけです。その歴史の目撃者の1人として、微力ながらこれからも応援させてください。

 

 

最後に。

キミはAre you fighting? 戦ってるか

Are you trying? 挑んでいるか

We are fighting! We are trying!

負けそうな時だって

Are you fighting? キミを信じて

Are you trying? 夢を信じて

We are fighting! We are trying!

涙の向こう側へと

大切なことに気づかせてくれるのは、いつも君です。ありがとう。大好きだよ。

さよならの向こう側

2019年4月26日。吉野晃一が自身のTwitterで今までのこと、そしてこれからのことを話してくれました。2018年1月16日、あの日から465日かかりました。

私は彼が脱退してからライブに行ける機会がなく、今思えばずっと「あの日」が続いていたんだと思います。誰かが聞いてきた言葉しか見ることができず、本人の言葉もまっすぐには届かない世界で、どうしても彼に噛み付くことでしか自分を保てなかった。許し方が分からなかった。そして嫌いになることでしか、彼を覚えていられなかった。そんな気がします。あの時間の中で私が強く感じたのは、「好き」の反対は無関心だということ。彼を忘れることでしかこのしんどさからは逃れられないと思っていました。

それでも人って案外単純なもので、多くは語ってくれなくても本人の丁寧な言葉を見たらそれだけで心にストンと落とし込まれました。今までのもやもやが晴れて、あぁそうだったんだねって素直に思えました。私はようやく当事者になれた。誰かが聞いてきた言葉は、やっぱりどうしても本人の口から聞きたかった言葉でした。そして何かを受け入れることは、難しくてでも大切なことでした。

 

長かったけれど、今日からまた再出発できそうな気がします。優しい気持ちで6人と1人を応援していけそうです。

吉野晃一を受け止めきれなかった私へ、このブログをさよならのかわりに。