「好き」は4年しか続かないらしい

以前Twitterで見かけた。「好き」という気持ちが持続する時間は4年らしい。その間に「好き」だという気持ちの更新があると、4年を越えて「好き」でいられるんだそうだ。まぁ詳しいことは各自で調べてください(無責任)。

 

 

さて、なぜ今回のブログがこんなタイトルなのか。こんな前置きをしたのか。それは私がいわゆる「担降り」をしそうになっているからである。

担降り。私はその経験がないわけではない。しかし、自覚して担降りをしたことがない。「担当を降りよう」と思って担降りしたことがないのだ。

例を挙げると、私の初めての自担は松潤だった。あの国民的アイドル嵐の松潤である。それがたしか中1の頃、必死で嵐の画像を集め曲を聴きドラマやバラエティを見た。そこから他のグループの知識もだんだんと増えていき、高2のある日キスマイのみったん(北山くん)と出会った。それでも私は松潤も好きだった。ただ、画像を集めるのも曲を聴くのもドラマやバラエティを見るのもキスマイ中心になった。そして気づいたら松潤よりもみったんに割く時間の方が増えていた。つまり、無意識のうちに担降りしていたのである。

とは言っても、何も嫌いになって担降りしたわけではないので、別界隈にどハマりしている今でも嵐やキスマイの番組はよく見ている。し、松潤とみったんを贔屓しています。

 

 

さて、そんな意識して担降りをしたことがない私がなぜ担降りに悩んでいるのか。それは今の自担(と言うしかないのでそう表記する)、しげ(ジャニーズWESTの重岡くん)のおかげである。というよりも、私の中で「好き」の在り方が揺らいできたからかもしれない。

 

少しだけ、しげとの思い出を振り返らせてほしい。ただの自分語りなので興味のない人はすっ飛ばしてください。

出会いは2013年1月1日。そうまさにカウコンを見ていた時だった。当時まだ関ジュだったしげは、センターで全力でにこにこと笑っていた。その姿はあまりにも眩しくて、キラキラとしていた。たった少しの中継でも彼のことは強く強く印象に残った。その後キスマイ目的で録画した少クラで関西JrにQというコーナーが始まる。そのコーナーの初回があの少年だった。あの日見た笑顔のまま、彼は少し特徴的な甘ったるい声で喋り、左の上のえくぼをアピールしていた。好きだと思った。

その後悪夢の2014年1月1日のカウコンや、私自身の環境の変化を乗り越えて、2015年1月5日の大阪城ホールで初めて生で彼を見た。やっぱりセンターで全力でにこにこと笑っていて、その姿はあまりにも眩しくてキラキラとしていた。

それから多くはないながらもコンサートに行き、テレビやラジオで追いかけ、雑誌を捲った。CDやアルバムやDVDは必ず全種買った。みったんのことを自然と「元担の……」と言ってしまったのもこの頃だ。今まで通り無意識のうちに担降りをして、この人が最後の自担だと思った(実は最後の自担という表現はあながち間違ってはいないのだが)。

 

 

その後私のオタ活を大きく変えたのが2016年の初夏、超特急との出会いである。

今までになく「距離が近い」、そして「触れ合える」……あの事務所では味わえない楽しさがたしかにそこにあった。必死にYouTubeで公式の動画を見漁った。ハマるのに時間はかからなかった。それでも意識して担降りをしたことがない私のことだから、それも新しく好きになったのは別界隈なのだから、そう簡単に担降りなんかするはずがないと思っていた。するとしてもいつも通り無意識のうちに。そう思っていた。

 

甘かった。明らかに割く時間、割くお金の比率が変わっていった。知識が増えるのも、友達が増えるのも、ライブに行くのも、コールを叫ぶのも、とにかく楽しかった。推しとツーショを撮るなんて経験もした(これも今では当たり前のようにこなしているけれどそれはまた別の話)。そして運が悪いことに、ジャニーズWESTのコンサートの時期と私自身の環境の変化が大きくなる時期が完全に重なってしまい、自担を見る機会を失ってしまったのだ。

ジャニーズは毎年コンサートをする時期がだいたい決まっている(ジャニーズWESTは1月〜3月くらい)。それに対して超特急は春ツアーに加えて夏フェスやハロウィンイベントの出演、冬にもアリーナツアーなどがある。また、その間にシングル発売や写真集発売のタイミングでイベントや特典会も行われる。そもそも根本的に会える機会が違うのだ。

そうなってくると、テレビやラジオだけでは、Twitterのレポだけでは気持ちを補えない。実は24魂以降のコンサートには行けておらず、金銭的にFCの継続も諦めてしまったため、自担に会える機会がほとんどなくなっていた。こんな言い方はしたくないがモチベーションを保つものがなかったのだ。そこに加えて超特急の会える機会の多さである。割く時間、割くお金、そして割く気持ちのほとんどを超特急が占めるようになっていった。私の中で「好き」のバランスは崩れてしまっていた。

 

 

何も茶の間オタクでもいいじゃないか。コンサートに行けることだけがファンの資格ではない。お金をかけることだけがファンの出来ることではない。自担が出ている番組を見る、それだって充分にオタ活の一つだろう。

分かっている。分かってはいても、CDや雑誌も買えなくなってしまった今、何が私を自担のオタクたらしめているのだろうか。「好き」だという気持ちの拠り所はどこに見つけたらいいのだろうか。音楽番組を見るのもどこかしんどくて、知らない新曲をパフォーマンスされてもついていけなくて。録画するの忘れちゃったなんて言いながら、自担を見ることをやめてきた。結局私は「知らない」ことが怖いのだろう。自ら知ろうとしていないくせに。そして「好き」でいられなくなりそうな自分を自覚したくなくて、いろんなメディアから自担の情報を得ることを避けているのだろう。

逃げているのだ。「担降り」するということから。私はまだみっともなく「自担」という存在にしがみつくのだろうか。あれだけの推しがいながら、自分の意思で「担当を降りる」ことになぜこんなにも嫌悪感があるのだろうか。

私の中で、無意識のうちにされない「担降り」は「自担を嫌いになる」ことと等しいのかもしれない。その証拠に、私は担降りしたあとも松潤やみったんと同じようにしげのことを穏やかな気持ちで好きでいられるか分からないのだ。ましてや松潤やみったんの時と違い、お金をかけることを覚えてしまったしげに対しては尚更。

これからも思い悩むのだろう。あの頃と同じような「好き」という気持ちを自然と忘れるその日まで。一線を引いて彼を蚊帳の外から応援できるその日まで。誰かに背中を押してもらわなくても、もうすでに担降りしているのと変わらない状態だとしても。

 

 

最後に。今年もジャニーズWESTのツアーが始まってしまいましたね。私はもちろん行けません。自担へ。怪我なく楽しくみんなを幸せにしてあげてください。私もいつかあの空間に戻ってみたいです。戻れるものならば。